〒971-8182 いわき市泉町滝尻字根ノ町73
豊臣秀吉(1536-1598)は低い身分からの出身といわれ、はじめ木下籐吉郎と名乗っていました。 織田信長の家臣として、「猿」の愛称で親しまれたといわれています。
天正10年(1582年)、本能寺の変によって明智光秀によって信長が討たれた後、秀吉は山崎の戦いで光秀を討ち、信長の後継者となりました。 翌年の天正11年(1583年)、本願寺の跡地に大阪城を築き、天正14年(1586年)には太政大臣となり政権を確立しました。 そして天正18年(1590年)には北条氏、伊達氏らを制し、天下統一を果たしました。
貧しい身分から天下統一を果たした秀吉は、出世の象徴として最も人気の高い武将です。
秀吉の家臣で、秀吉とは親戚の間柄である加藤清正(1562-1611)も勇猛な武将でした。彼は、賎ヶ岳の合戦では「賎ヶ岳の七本槍」とされる活躍をし、朝鮮半島では虎退治などの勇猛な逸話も残しています。
出世の秀吉と勇壮な清正は、ともに広く庶民に親しまれ、武者のぼりや浮世絵などに多く描かれています。 絵のぼりでは上にいるのが秀吉、下にいるのが清正です。
いわき絵のぼり吉田 絵師辰昇
→Wikipedia豊臣秀吉のページを見る
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秀吉と清正図の他、以下に各図柄由来もご紹介 |
以下、いわき絵のぼり図柄の由来一覧です。 |
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[伝統的な庭飾り] 端午節句の空を彩る勇壮な絵のぼりは、人生の門出にふさわしい旗印です。 |
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[格調高く身近な室内用]
お子様の成長を見守る守護神として。取り扱いが簡単で若い方に好評です。 |
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関連ページ
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初節句を彩る「いわき絵のぼり」の紹介動画です。
— いわき絵のぼり絵師 辰昇 (@enoborishinsho) March 23, 2024
これまでにお客様から寄せられた貴重な写真の数々、初節句の勇壮な雰囲気をご覧ください。#いわき絵のぼり #初節句 #こどもの日 pic.twitter.com/b5MEGGyTq7
「降り龍図大幟」木綿に顔料
— いわき絵のぼり絵師 辰昇 (@enoborishinsho) April 18, 2024
作画のつづき、縦長画像です。 pic.twitter.com/e29bFdvyJW
「波兎図」
— いわき絵のぼり絵師 辰昇 (@enoborishinsho) April 17, 2024
室内用いわき絵のぼりです。
【由来】
兎は多産であることから、五月節句の絵のぼりでは、お子様の人生の繁栄を願う絵柄です。
この題材は江戸時代など古い時期に親しまれていたようですが、素敵な画題なので、近年復活させました。#端午の節句#初節句#いわき絵のぼり pic.twitter.com/LaWM2n0OrW
投稿が遅くなってしまいましたが、
— 北彩養鯉 (@irodori_koinbr) April 15, 2024
先日いわき絵幟の辰昇先生の工房見学をさせていただきました。お忙しい中有難う御座いました。
絵幟の歴史を堪能出来る空間でした。
中でもやっぱり先生の作る鍾馗幟旗は生で見ると迫力がヤバかったです。
生で見なきゃもったいないです!
→続く@ pic.twitter.com/Xiqx2eWxw1
「鍾馗(しょうき)」様、屋外用いわき絵のぼり制作途中です。
— いわき絵のぼり絵師 辰昇 (@enoborishinsho) March 22, 2024
鍾馗様は邪気を払う神様です。
江戸時代以降、節句幟(武者のぼり)の人気の画題となり、男児の健やかな成長を願って端午の節句に飾られるようになりました。#いわき絵のぼり#端午の節句 pic.twitter.com/y10zhQ73bB