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福島県いわき(磐城)地方では、16〜17世紀には既に紙製武者のぼりを立てていたそう
です。磐城平藩主
内藤義概
(ないとうよしむね〜1619-1685)
は風雅なものを好む人で、1683年
(天和3年)7月19日に
“端午の節句には、どんどん幟を飾って町を華やかに飾るよう”
に御触れを出しています。その影響もあり、磐城地方には武者のぼりの文化が長く定着
したのかもしれません。
●
明治〜大正期はのぼりの数を競うのが流行した時代です。
小ぶりの武者のぼりを数
十本も庭に立てる家があったと聞きます。また使用し終わったのぼりは布団の生地や大
漁旗として再利用されたそうです。
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大正〜昭和になると、のぼりの数より大きさを誇るのが主流
に
なり、絵だけで幅2m
以上、長さ7m以上の大のぼりが作られていました。しかし戦争による物資不足の為、大の
ぼりの時代は短期間で終わっています。
〜
昔のいわき絵のぼり
〜
●
左の写真は明治時代のいわき絵のぼ
り。幅約1m、長さ約5mの三反敷というサ
イズで、これ以上の大きさの物がかつて
は流行しました。しかし第二次世界大戦
による物資不足を機に、特大のぼりの
習慣は下火に。
●
下の写真は戦時中のいわき絵のぼ
り。のぼりを持つ手が透けて見えるのが
お分かりでしょうか?通常は厚手の木綿
等に描くのですが、物資不足の為に代
替品として、薄手のレーヨン(人造の絹)
に描かれています。
⇒この絵のぼり(初代作)の詳細はこちら
●
広く磐城地方に浸透した武者のぼりですが、昭和初期までは単に
「こばた
(小旗)
」
と呼ぶ
のが一般的でした。「いわき絵のぼり」という呼称が定着したのは、昭和30年代後半のこと
です。
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昭和38年、NHK平放送会館(現 いわき支局)が落成され、その記念として当時の
NHK人
気番組「それは私です」
が磐城高等学校講堂より中継されました。そこでいわきの「こば
た」を紹介する際にもっと良い名称を、との話になり
「いわき絵のぼり」
と名付けられまし
た。番組に出演したのが私の先代で、祖母のしずえです。
その時の模様は
⇒ニ代目絵のぼり師 宇佐美しずえ
のページに載っています。
・小名浜港利用促進協議会
(事務局:いわき市みなと課)
が、ス
ウェーデンはイェブレ市の市長に、記念品として掛け軸を贈呈す
る様子
(2006年コンテナ貨物調査のため訪問)
●
最近は住宅事情の変化か
ら、室内に飾れる壁掛け、額
装、軸装などの需要が増えて
います。
またそのような室内品は、日
本の伝統民芸として、海外へ
の贈答にも大変喜ばれてい
ます。
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