〒971-8182 いわき市泉町滝尻字根ノ町73
江戸中期の端午節句図(無銘)。 絵のぼり吉田蔵 |
目次
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絵のぼりの起源は武士の
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絵のぼり吉田蔵 |
「武者絵のぼり」とは、端午の節句に飾る縁起物で、絵柄と家紋が描かれたのぼり旗のことです。 その起源は、武士が使用する「 |
太平の世になり武具が五月の端午節句飾りへ |
武家が戦に明け暮れた戦国時代が終わり、平和な江戸時代に入ると、先祖伝来の武具はお祝いの儀式に用いられるようになりました。 |
端午節句襖図下絵(無銘)。江戸中期。 絵のぼり吉田蔵 |
そこで旗指物には、男児の健やかな成長を祈願する美しい絵が絵師によって描かれるようになり、神に家に男児が誕生したことを報告すると同時に、往来の人々の目を楽しませました。 |
江戸時代、絵師のキャンバスとなり広く浸透 |
絵のぼりを飾った景色。 引用:五月の景(葛飾北斎/1805年)より |
武具だった旗指物から、端午の空にはためく心躍る絵画に。 |
絵のぼりは絵師の腕の見せどころ |
鍾馗図幟(歌川芳輝)。江戸後期。 絵のぼり吉田蔵 |
江戸時代には、染師や地方絵師、町絵師、御用絵師などが絵のぼりを描きました。 しかし、江戸期の絵のぼりは、多くが家庭の蔵に眠り続け、長年忘れられています。 |
江戸〜明治は外飾りの主流 |
江戸後期の端午節句 引用:東都歳時記-端午市井図(1838年)より |
明治時代の初期ごろまで、絵のぼりは節句外飾りの主流でした。 鯉のぼりの起源は以下のページへ。 |
なぜ「武者絵のぼり」と呼ばれる? |
義経の弓流し図幟(近藤辰治)。昭和中期。 絵のぼり吉田蔵 |
もとは |
素材や大きさの歴史 |
室内用小型絵のぼり。 引用:端午節句(喜多川歌麿/1803年)より。 |
【江戸初期】 【江戸中期〜後期】 【明治後期以降】 |
まとめ |
・絵のぼりは江戸時代に武具が変化して誕生し、当時活躍した絵師や染師によって制作されました。 ・男児成長祈願の図柄が描かれ、神の ・鯉のぼりは絵のぼりの付属品として誕生しました。 さらに詳しい歴史については、収集家の北村 |
よくあるご質問
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Q. 武者絵のぼりは、武家のものですか?
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A. もとは武家の
「武者絵のぼり」という字面から「武者(武家)のみに使用が許された絵のぼり」と誤解する方もおられますが、分け隔てなく飾られてきました。 庶民の使用を禁じた一部地域はあったかもしれません。 |
Q. 鯉のぼりとは違うの?
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A. 鯉のぼりは、江戸中期になって江戸の商人が考案しました。
絵のぼりの定番図柄「鯉の滝昇り」を立体におこし、絵のぼりの付属品としたのがはじまりです。 こいのぼりは漢字で「鯉幟」と書きます。 「 詳しくは下記ページへ。 豆知識:ご存知ですか?鯉のぼりとの関係! |
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