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“八幡太郎勿来の関通過の図”の由来
〜文武両道(地元いわき市が舞台の図柄)

●八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)(1039-1106)とは通称の呼び名で、本名は源義家(みなもとのよし
いえ)。鎮守府将軍頼義の長男として平安時代に生まれました。

●父とともに1051年より前九年の役で戦い、陸奥の豪族安部貞任(あべのさだとう)らを討ち、その功に
より従五位下出羽守に任ぜられました。

●1083年、陸奥守兼鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)になった義家は奥州清原氏の家督相続争いを
治めるために介入し(後三年の役〜ごさんねんのえき)、これを平定しました。ただしこの戦いは私闘とみ
なされ、義家は朝廷から功賞を得られませんでした。そこで私財を投じて部下たちをねぎらったと
言われています。

●奥州に向かう際、勿来の関(現いわき市勿来の関跡)で義家が詠んだ歌
 吹く風を 勿来の関と 思へども
  道もせに散る 山桜かな
は、千載集にも載っている有名な和歌です。

●八幡太郎義家は文武両道でたくましい子供に育ってほしいとの願いを込めて節句幟に描かれて
きました。いわき絵のぼりの八幡太郎は、この勿来の関を通過する際に歌を詠んだ場面が描かれ
ています。
いわき絵のぼり師 辰昇(しんしょう)
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