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手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田 三代目絵師辰昇

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日本武尊図幟 お顔のアップ

日本武尊図を描いた古いいわき絵のぼり

日本武尊図幟 明治後期~大正期 手描き 無銘01
  • 題名:日本武尊図幟
  • 時代:明治後期~大正
  • 産地:いわき市
  • 作者:無銘(近藤辰治?)
  • 素材:木綿
  • 技法:肉筆(手描き)
  • 寸法:約440×約67cm
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田

明治以降、日本神話が人気を博す

日本武尊図幟 明治後期~大正期 手描き 無銘02

日本武尊図の古いいわき絵のぼりとその特徴

この作品は、明治後期から大正期に制作された、日本武尊図(ヤマトタケル)の絵のぼりです。
福島県における当時の磐城(いわき)地方で、男の子の五月節句のお祝いに飾られた品となります。
その作風は、江戸後期の浮世絵をラフにしたもので、「いわき絵のぼり」の特徴が出ています。
しかし残念なことに、本作には落款がありません。
そのため制作者の特定は困難ですが、私の曽祖父「近藤辰治」の筆致に似ているようです。

日本武尊図の物語

ここで描かれる、日本武尊の神話の物語を簡単に紹介します。
東征の折に、敵の計略によって四方に火をつけられ、窮地に陥った日本武尊。
そこで天叢雲剣で火のついた草を薙ぎ払い、火打石で向かい火を放ち敵を倒したといいます
天叢雲剣はこのエピソードによって「草薙剣」とも呼ばれています。

社会変動と神話研究の盛んさ

さて、日本では幕末になると不安定な世相を表すかのように、神話の研究が盛んになりました。
それはやがて、幕藩体制の江戸幕府から、中央集権の明治政府へと価値観が変わっていった時代を反映しています。
現在では、端午の節句に神話の絵はあまり描かれませんが、戦前までは定番でした。

昔の(のぼり)は細い布を縫い合わせて作られていた

日本武尊図幟 明治後期~大正期 手描き 無銘03

時代と共に変化する絵のぼり

明治初期までの絵のぼりは、30数cmの細幅な手織り生地を縫合して、70cmほどの幅を出していました。
それが、やがて明治後半になると幅の広い機械織りが一般的になっていきます。
もちろん絵のぼりでも、都市部を中心に機械織生地が導入されていきました。

都市部と地方での差異

もっとも、いわき絵のぼりでは、大正時代になっても手織り生地が多く使用され続けていたようです。
この違いから、都市部と地方での人々の生活様式には大きな差異があったことが窺えます。
また、地域によっては絵のぼりを飾るのか、または鯉のぼりを飾るのか?風習がダイナミックに変化していった時期でもありました。

いわき絵のぼり吉田 絵師辰昇(しんしょう)

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日本武尊図幟 明治後期~大正期 手描き

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この記事の執筆者:いわき絵のぼり吉田の絵師辰昇(しんしょう)

手描き武者のぼり「いわき絵のぼり吉田」。福島県指定伝統的工芸品。
絵師辰昇(しんしょう)による肉筆(手描き)絵のぼりの世界をご覧下さい。

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