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手描き武者のぼり制作いわき絵のぼり吉田 三代目絵師辰昇

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03.鍾馗図幟(しょうきずのぼり) -古作のいわき絵のぼり 非売品

鍾馗図幟(明治時代のいわき絵のぼり)アップ

古作のいわき絵のぼり、鬼と鍾馗図

鍾馗図幟 無銘 明治期
  • 題名:鬼と鍾馗図幟
  • 時代:明治~大正
  • 産地:いわき市
  • 作者:無銘
  • 素材:木綿
  • 技法:肉筆(手描き)
  • 寸法:約470×約63cm
  • 所蔵:いわき絵のぼり吉田

磐城いわき地方の絵のぼりの成り立ち

はじめに、当工房が位置する磐城(いわき)地方の絵のぼりの歴史についてご紹介します。
磐城平藩第3代藩主である内藤義概(よしむね)は、芸術文化を好む人物でした。
この方が、江戸時代初期の天和3年(1683年)に、絵のぼりを奨励したと言われています。
これにより、周辺地域には多くの絵師が育ちました。
この「鬼と鍾馗」には作者名がありませんが、その作風から、明治~大正時代の「いわき絵のぼり」であると考えられます。

先代の作品をデフォルメしていった地方絵師たち

武者絵のぼりの浮世絵からの影響

現代では、国宝級の絵画を美術館やネットで気軽に観賞できます。
しかし、江戸時代の庶民にとっては、それほど簡単ではありませんでした。
特に地方の職人たちは、はじめは浮世絵などの出版物を手本に絵のぼりを描いたことでしょう。
その後継者たちは先代の絵を参考に制作し、その後、時代が経過するにつれて誇張や省略が進みました。
この作品は明治から大正時代の制作であり、省略が進んだ作風です。
しかし元々は浮世絵師歌川国芳からの影響を感じさせる作品となっています。

古い武者絵のぼりの年代特定は布地をチェック
布地を中央で縫い合わせています

大正期以前は手織りの生地

絵のぼりの年代を特定する際、はじめにチェックするのは布地の種類です。
大正期以前、紡績機械が普及する前は、手織り生地が使用されていました。
国内の手織り生地の幅は30~40cmであり、そのため二枚を縫い合わせて幅広い絵のぼりにしたのです。
特に明治時代以前の作品は、手織りの生地を使用しています。

布地にみる近代化の濃淡

とはいえ、手織りと機械織りの使用については、地域ごとに濃淡があります。
いわき地方では、大正期になっても手織り生地の絵のぼりが存在します。
いっぽう都市部では明治期からすでに機械織り生地とミシンが使用されていので、一概にはいえません。

素朴な家紋

往時の生活の息吹を感じる素朴さ

こちらは、絵の上部に描かれている家紋です。
地方で制作されたこの作品は素朴な味わいがあり、そのため往時の人々の生活の息吹を感じます。

いわき絵のぼり吉田 絵師辰昇(しんしょう)

→Wikipedia鍾馗のページを見る

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